2015 November

 

 
 
マレ地区にあるカルナヴァレ美術館。1548年にパリ市議会議長ジャック・ デ・リニュリの邸宅として建造されたこの建物は、17世紀半ば、ブロア 城を 設計したフランソワ・マサールによって改装され1677年から1696年まで は作家であり社交界の花形であったセヴィニエ夫人が住んでいたこ とでも有 名。19世紀半ば、パリ改造計画によって古いパリが消え去ろうとしている時、 パリの歴史を伝える美術館が必要だろうと言うオスマン男爵の 下、パリ市はカ ルナヴァレ館買い上げ歴史博物館としたのが始り。1989年には隣接するル・ ペルティエ・ド・サン・ファルゴー館も統合して今の形 になったという。

 

 

 
 

ルイ16世様式の貴族邸宅の内装や、かつてのパリの眺望、模型、装飾、パリに 暮した有名人の肖像画など興味は尽きない。

 

 

   
 
 
ルーブル宮の東ファサードは今も車で通るたびに、本当に美しい・・・と心に残 る光景。古い絵画にいにしえの昔のパリに思いを馳せる。

 

 

2   1
 
 
ルイ16世の青のサロン。華麗な装飾はルイ14世のヴェルサイユ宮殿にも負け ない魅力がある。パリを知る美術館としてさまざまに興味は尽きず何度 でも訪 れたい。

 

 

 
 
 
大好きな建築家、オーギュスト・ペレが1952年から1954年で亡くなるま でアトリエがあったレアヌール通りの集合住宅(1932年)。近くを 通るとつ い車を止めてしまう・・・。

 

 

 
 
テロ事件以来、緊張感と閉塞感で毎日の気持ちの持って行きかたが難しい。あら ゆるアポイントメントがキャンセルになり、メトロも車も使えない。と にかく 気分転換が必要、どこかに出かけないと気持ちが滅入ってしまう。JACOB通 り10番地はコルビジェが住んでいた場所。ロバート・キャパ、 アンリ・カル ティエ・ブレッソンで有名な国際的写真家集団「マグナム・フォト」のギャラ リーもサンジェルマンにある。リヒャルト・ワーグナーが住ん でいたアパルトマ ンもここに。テロ事件以来静まり返った通りをひたすら歩く・・・。

 

 

 
 
どこにも出かけられない日が続いて何をしても落ち着かない。皆思う事は同じら しく我が家の下のカフェはご近所の方々でいっぱい。このカフェは 1920年 代、作家のボリス・ヴィアンやヘミングウェイが通っていた「カフェ・ミ ショー」で、ピカソやマンレイ、ダリやコクトー、フィッツジェラ ルド夫妻も ここでよく牡蠣を食べていたとか。驚く事にその曾孫が今、ここのギャルソンを しているクリストフル君。昔のサンペールの写真を見せてく れて「ボリス・ ヴィアンのサンジェルマン・デ・プレの法則って言う本にボクの曾おじいさんの 写真が出てるよ」・・・と。日本語版を持っていた私は 早速発見!素晴らしく 魅力的な人物だったようで、アーティストからはお金を取ろうとせず売れる前の ピカソ達から支払いの代わりに作品を貰っていた いたとか。

 

 

 
 
我が家の近くJACOB通りに「Espace Femme」という女性作家だけのギャラ リーがある。マグリット・デユラスやコレット、さまざまな作家の本とその装丁 をデザインしたアーティストのリトグ ラフなどが作家ごとに展示されていて興 味深い。パッサージュの奥にひっそりとあるサンジェルマンらしい素敵な場所。

 

 

 
 
閉塞感いっぱいの毎日を何とか乗り切らなくては。サンジェルマンのお散歩がい つになく楽しい。アンティークのシャンデリアのブティックや貴族の邸 宅を改 装したホテル、ゴージャスで夢のようなモノを見ることが今の私には本当に必 要。サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼を思い出す美しい貝の レリーフ、 フランス語では帆立貝のことを「Coquilles Saint  Jacques」という。スペイン語のサンチャゴ、日本語の聖ヤコブ (Jacques)のシンボルがが帆立貝だったことに由来するとか・・・。こ んなファンタジーに浸り気持ちを落ちつかせる。

 

 

 
 
expo index 我が家の下のカフェの恒例の木曜日のコンサート。テロ事件以来、ご近所の情報 センターの役割も大きく普段は来ないお年寄り達まで「とにかく皆と一 緒に居 たい」とカウンターまでいっぱい。満月の夜、 皆がさまざまな思いを胸にJAZZを聴く・・・。 page top

home