2016 March

 

 

 
 

銀座の教文館にチェコ出身の建築家「アントニン・レーモンド展」を見に行く。 アメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライトの下で学び、ライトが帝 国ホテ ル建設の際に来日、その後日本に留まりモダニズム建築の作品を数多く残した。 この教文館の建物もレーモンドの設計という事で,教文館創業 130年記念の展 覧会となったそう。父の恩師である建築家、吉村順三氏もレーモンド事務所にい らしたので夏の軽井沢では子供の頃から良く聞いてい たレーモンド。有名なこ の写真は教文館の屋上で撮影されたことを初めて知る。

 

 

 
 
日本に残された数々の作品、「これもレーモンドなんだ・・・」という再発見も 面白い。図面や写真、著作のオリジナル版など丁寧な展示構成で素晴ら しい展 覧会になっている。その昔、銀座を闊歩していた「モダン・ボーイ」でいらした 事を彷彿とさせる素敵なおじ様方が多い会場も印象的。

 

 

 
 
私が生まれた聖路加病院はその頃はまだレーモンドの設計によるチャペルが残っ ていた。私が生まれる直前の母とチャペルの牧師先生、懐かしい写 真・・・銀座にあったブラジルコーヒーはレーモンド設計のインテリアに藤田嗣治の壁画と言う贅沢。

 

 

 
 
軽井沢にはレーモンドの作品が数々あるけれど、この夏のアトリエは今、フラン スの詩人「ペイネ美術館」になっている。かつての姿を見るのも興味深 く、フ ランク・ロイド・ライトの冬のアトリエ、アメリカのアリゾナ州にあるタリアセ ン・ウエストを訪ねた時のことを思い出す。季節によって過ごしやすい場所にアトリエを移すとい う贅沢、そんなデザイナー人生を送りたいもの。

 

 

 
 
教文館は1885年(明治18年)アメリカから派遣されたメソジスト教会の宣 教師たちが宣教用の書籍を販売したり、出版活動をするための組織を 作ったの が始まり。聖路加病院のある築地明石町の居留地を経て、1891年(明治24 年)に銀座に開店して以来124年、今もレーモンド設計の建 物をかなりの部 分当時のまま使用している。レトロな雰囲気がとても落ち着く。

 

 

   
 
 
 
建築家協会主催の今年の卒業制作選抜展。主人のゼミの生徒さん2名が出展な さっているのを拝見する。大きな会場ではパネルの大きさや展示の方法な どか なり工夫が必要。天井が高く広い会場で模型を上手に見せるのは本当に難し い・・・。

 

 

   
 
 
友人のジュエリーデザイナーのK氏から素敵な絵本を頂く。イラストレーターの お姉さまと共作の可愛らしい絵本。絵本には珍しいモノトーンな色彩と 詩的な 文章が美しく、大人の絵本と言う感じ・・・。

 

 

   
 
 
 
東京都美術館に再び「ボッティチェリ展」を見に行く。前川國男氏設計の新館は 築30年の節目に大規模改修工事が行われ、2年と言う日本にしては長 い工期 を経て2012年にリニューアルオープンした。美術館に入る前のアプローチの 中庭には大きな彫刻作品が展示され、さながらパブリック・アー トのよう。館 内でその模型を見ると「入れ子式」の中に入ってしまったような不思議な感 じ・・・。お天気が良くガラスには外観と内観が映りこみます ます不思議。

 

 

 
 
 
上野公園にはいくつもの美術館や音楽ホールがひしめき合っていて「文化村」と いう感じ。交番も例外ではなく建築家、黒川哲郎氏の設計による面白い デザイ ンの交番。子供の頃とても可愛がって頂いた氏の作品を、氏との思い出が沢山あ る上野公園で拝見するとは・・・。さまざまな思い出が蘇る。

 

 

 
 
 
ワタリウム美術館にブラジルで活躍した女性建築家「リナ・ボ・バルディ展」を 見に行く。ローマ生まれのイタリア人であるリナはローマ大学卒業後、 ミラノ のジオ・ポンティの下でインテリア雑誌の編集に従事していたが、1946年に 美術評論家の夫と共にブラジルに移住、1951年にはサンパウ ロ市内に自邸 である「ガラスの家」を設計しブラジル国民となり、1992年78歳で亡くな るまでこの地で過ごしたという

 

 

 
 
建築家の妹島和世氏によ る監修が素晴らし く、リナが手が建築を中心にインテ リアデザインや家具、工芸のコレクション、 インタビューなどリナの人物像や デザインのベースと なる思考が想像しやすい 構成。野趣溢れる植物の配置もブ ラジルの空気感を彷彿とさせる。

 

 

 
 
ブラジルに行った際に訪れたオスカー・ニーマイヤーの自邸に何となく似ている ように感じるのは、ブラジル独特の植物の種類や構成のせいかもしれな い。メ キシコで訪れたフリーダ・カーロの家やアメリカンのニューメキシコ州で訪れた ジョージア・オキーフの家・・・。乾いた空気感と目を射るよう な太陽の光の 中、アーティストの存在する空間、何とも言えない共通の雰囲気を感じるのは私 だけだろうか。

 

 

 
 
ポンピドーセンターに「Anselm Kiefer アンゼルム・キーファー」の大回顧展を 見に行く。1945年、ドイツ敗戦の年に生まれた彼が、故国の戦争の罪と影を 背負って生きて来たことを強く感じるよ うな作品に圧倒される。

 

 

 
 
「ユダヤ人を大虐殺したドイツ人の罪を集団心理として受け継いだ自分は美術家 として何が出来るのか?」という問いに終世作品で答えを見つけようと した キーファー。

 

 

 
 
19世紀とナチスの時代にドイツ神話と英雄叙事詩が戦意高揚のためドイツ愛国 主義に利用されたという史実を元にした作品など、平和な時代にドイツ 人が見 たくない過去をアートとして表現した作品は重く暗い。その技法もまるで過去の 積み重ねを具体化したようで重層的なもの。

 

 

 
 
植物や鉱物を入れ込み金や鉛を使った作品は地球が核爆発で廃墟になった後、そ れでも星に照らされて静かに佇んでいるかのような美しくも恐ろしい魅 力に包 まれて展覧会は終わる。

 

 

 
 
 

 

 

 
 
久しぶりのポンピドーセンターで重いキーファーの展覧会を見て少々疲れたので カフェで一休みしていると、東京から臨場感溢れるサッカーの試合写真 が届 く。ご招待頂いたお席なのでサッカーの大好きな I 氏にお譲りしたのだけれど、解説付きの写真を頂いて試合に行ったような気 分。サッカーもフランスのように文化として定着しますように・・・。

 

 

 
 
ポンピドーセンターはアンドレ・マルローが文化大臣の時に提唱した「空想の美 術館」などが起源にあり、1960年前半、ル・コルビジェの設計によ る20 世紀美術のための美術館をパリ都心に建設するという計画があったらしいがル・ コルビジェの死で流れてしまったとか。当時パレ・ド・トウキョ ウにあったパ リ近代美術館は集客が少なく、フランス国立図書館の機能の緩和も必要で、結果 的に美術館計画と図書館計画の2つが合体したものがポン ピドーセンターと なった。ド・ゴール政権で首相を務めたポンピドーの名を冠している。 アンドレ・マルローの提唱した「空想の美術館」を象徴するようなマルセル・ デュシャンの作品、心が澄んで行くような気持ちになるその佇まいは、 デュ シャンの一貫したシンプルでスピリチュアルなコンセプトによるものか?

 

 

   
 
 
 
 
expo index カルティエ財団に「森山大道展−DAIDO TOKYO」を見に行く。初夏の澄んだ光が 差し込むガラス張りのギャラリーで写真を見るのはなかなか難しい・・・。明る すぎて写真作品そのもののニュアン スを感じ取ることが出来ないような気がす るのは私だけ?小さなカメラを持ち歩き新宿などの街を撮り「アレ・ブレ・ボ ケ」と称されるスタイルで 1960年代後半から注目を集め今もなお活躍する 森山氏。独自の「スナップの美学」で切り撮るスタイルはいつみても独創的。 page top

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