2011 CROATIA

 

   
 

 

Zagreb

 
 
 
今年のヴァカンスは初めての中欧、クロアチアで過ごす事に。東京、パリとどちらもようやく仕事を終え、ようやく長い1年も終わろうとしている。ザグレブ行きのエール・フランスが離陸すると、何だかほっとする。

 

Zagreb

 
 
ようやく首都ザグレブに到着。朝早くパリを発ったので早めのランチへ。クロアチアは温暖な気候と陽射しの強さで古くからワイン作りが盛んだとか。地元の人たちで賑わうレストランVinodolへ。Zagrebacki Teleci Odrezak=ザグレバチキ・テレチ・オドゥレザク・・・と久しぶりにフランス語もイタリア語もあまり通じない国へ来た実感!仔牛のスライスとポークハムでチーズを巻いて揚げた「ザグレブ風カツレツ」を頂く。ワインも濃厚でなかなか美味しい。

 

Zagreb

 
 
 

クロアチアの首都ザグレブはグラデツとカプトルという二つの丘がザグレブの起源で1094年、当時のハンガリー王ラディスラヴがアドリア海へ向かう途中にカプトルの丘に教区を設立したことに始まる、小高い丘に立つ緑豊かな街。丘の上から旧市街を一望すると、古きよきヨーロッパそのもので何だかプラハを思い出す。

 

Zagreb

 
 
 
 

旧市街に立つCrkva Sv.Marka=聖マルコ教会、14世紀から15世紀に建設されたというロマネスク様式とゴシック様式の教会。19世紀の修復で完成した屋根のモザイクが美しい。左側がクロアチア、ダルマチア、スラボニア王国の紋章。右側がザグレブ市の紋章となっている。入り口に施されたゴシックの彫刻も素晴らしい。

 

Zagreb

 
 
 
クロアチアは知るひとぞ知るチョコレート大国。1911年創業のクラシュ社はさながらパリのフォーションといったところ?Choko Bar Kras=クラシュのチョコレート・バーにて濃厚なホット・チョコレートを頂く。外は雪・・・。

 

Zagreb

 
 
 
 
カプトルの丘に建つ、ザグレブが誕生する前からこの地にたたずむ大聖堂。13世紀に建てられ19世紀に修復されたネオゴシック建築で2つの尖った鐘楼はザグレブの象徴ともなっている。聖母マリアと聖ステファンが祭られている千年以上の歴史を持つ大聖堂。クリスマスの飾りが残っていて、何だかうっそうとした森のよう・・・。

 

Zagreb

 
 
街の中あちらこちらにマルシェが出ている。聖母被昇天大聖堂に行く途中、ドラツ青果市場を通る。食品以外にも手作りのデコレーションをさまざまに売っている。リースのようなものや、ドライフラワーのブーケ、どれも配色が新鮮で素材の組み合わせも珍しくてとても面白い。

 

Zagreb

 
 
 
 
クロアチアはネクタイ発祥の地。17世紀、クロアチア兵士の妻や恋人たちが無事を祈って贈ったスカーフを兵士が首に巻いたのがネクタイの起源と言われ、それが発展して今の形になったネクタイ。ネクタイ専門店の「クロアタ」は美しいギャラリーの中でもひときわシックなお店。クロアチア最初の文字グラゴール模様など文化に根ざしたモチーフも面白い。ドアのノブもネクタイ、クリスマスのリースもネクタイで出来ている。

 

Zagreb

 
 
 
 
Trg Bana Jelacica=イェラチッチ広場は街の中心的な場所。イェラチッチ総督の像ガたちその脇に17世紀に造られた泉と噴水がある。目抜き通りはクリスマスのデコレーションも残っていて、沢山の民芸品を売るスタンドが出 ている。ザグレブの民族衣装に施されるハートのモチーフを型どったクッキーのオーナメントや織物や刺繍の製品、ラヴェンダーはクロアチアの特産品でフヴァ ル島のラヴンダーで作ったポプリのお店も可愛い。各国、各地方の工芸品にとても興味がある私には楽しい時間。

 

Zagreb

   
 
 

雪も舞う寒いザグレブの一日も無事終了。アドリア海で採れた新鮮なシーフードのレストランKorcula=コルチュラ(コルチュラ島の名前にちなんだレストラン)で軽くディナーを頂く。フランスでは蛸を食べないのでココ、クロアチアの蛸のグリルは是非オーダーしたい一品。マグロのカルパッチオも新鮮で美味しい。パリや東京に比べると洗練と言う意味ではどこまでも遠いけれど、素朴な美味しさ、と言う感じ。ポルトガルで蛸をオーダーしたら「一生分」?と思うほどの量が出てきたことを思い出す。

 

Dobrovnik

 
 
再び朝一番のザグレブ発ドゥブロブニク行きの飛行機に乗る。パリと違って本当に真っ暗な空港。タラップを上がるにも真っ暗で見えない。ドゥブロブニクは「アドリア海の真珠」と言われる世界遺産だけれど、こじんまりした小さな空港。レンタカーのプレートにもクロアチアの国旗。

 

Dubrovnik

 
 

ドゥブロブニク空港からレンタカーでひたすら海沿いの道を隣国のモンテネグロに向けて走る。クロアチアは中欧ヨーロッパの中でも、細長くとも長い海岸沿いを国土として持っている。そのため隣国のボスニア・ヘルツエゴヴィナは海の無い国。夜が明けたばかりのアドリア海の美しさ、海岸線に茂る糸杉が次々に過ぎて行く何ともポエティックなドライヴ。

 

Kotor

 
 
 
車で海岸沿いのクロアチアとモンテネグロの国境を越える。車で国境を越えるのは何だか久しぶりで、新婚の頃スイスとイタリアやドイツの国境を越えていろいろなところへ行ったことを思い出す。朝早い上30日とあって国境警察もなんだかのんびり。2時間ほどでモンテネグロの古都、世界遺産 Kotor コトルに到着する。

 

Kotor

 
 
 
 

 

Kotor

 
 
モンテネグロは旧ユーゴスラヴィア解体後、セルビア・モンテネグロなどを経て2006年 に独立を果たした人口わずか62万人の国、面積は福島県と同じくらいの小国。狭い国土の中に国立公園が4ヶ所もあり、293kmの長い海岸線のうち 73kmはビーチで観光資源にはこと欠かない。国名の「モンテネグロ」はイタリア語のヴェネチア方言で「黒い山」を意味する。城壁の旧市街への入り口にはヴェネチアの印「羽のあるライオン」のレリーフが見える。言語はモンテネグロ語、そして通貨はユーロなのも驚く。

 

Kotor

 
 
中世のままの都市、「モンテネグロの秘宝」と言われる古都コトル。複雑に入り組んだ入り江、ポカ・コトルスコの最南部に位置し、前方を海、背後の急峻な崖に囲まれた要塞、海洋都市コトル。城壁に囲まれた旧市街は外敵に破壊されること無く中世そのままの街並み、12世紀以来の宗教建築が点在する。城壁の入り口をくぐると、中世そのもののの街並みが続く。

 

Kotor

 
 
 
城壁に囲まれた中世そのもの街は何だかおとぎの国に迷い込んだよう。街の守護聖人が祭られる Katedrala Sv.Tripuna 聖トリフォン大聖堂。1166年創建のロマネスクの教会。主祭壇上部の石つくりの天蓋、金のレリーフともに素晴らしい・・・。

 

Kotor

 
 
セルビア正教の聖像(イコン)が残っている Crkva Sv. Luka 聖ルカ教会。1199年にカトリック教会として建設され、1657年にセルビア正教会となった。内部は夏のみの見学で、鮮やかなイコンは見られない。このまま中世の人になってしまいそうな気分・・・。

 

Kotor

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12世紀以来と言う中世の街並みも地球温暖化には勝てない・・・。至るところ、路地と言う路地に所狭しと空調の室外機が設置されているのがイヤでも目立つ。夏の暑さは凄まじいものらしく、ビーチは危険だというくらい暑いらしい。

 

Dovrobnik

 
 
再びモンテネグロとクロアチアの国境を抜け、いよいよドゥブロブニクの城壁が近ずいて来る。14世紀から16世紀に地中海と東部と西部を結ぶ海洋共和国として栄華を極めた南ダルマチアの文化の中心地。紺碧のアドリア海に突き出た美しい旧市街は1979年に世界遺産に登録された。

 

Dubrovnik

 
 
旧市街へのメインゲートであるピレ門をくぐり城壁内に入る。塀の上には石橋がかかり昔は木製の跳ね橋があり日没になると門は閉じられていた事が偲ばれる。

 

Dubrovnik

 
 
 
城壁に中に入るとそびえるスルジ山に向かって、勾配の急な坂道の多い街並みが続く。

 

Dubrovnik

 
 
早朝にザグレブを出発して飛行機でドゥブロブニクに到着、そのままレンタカーで国境を越えモンテネグロの古都コトルへ・・・ようやくドゥブロブニクのホテルに入る。城壁内の素敵な館で、まだランチだという事がにわかには信じられない。一日は長い・・・。トリュッフの産地であるクロアチア、主人はトリュッフのリゾット、私はトリュッフのラヴィオリを頂く。コレが大変な美味しさで!たっぷりのトリュッフの芳香で濃厚な一皿、小さなポーションで十分、いえ十二分・・・。

 

Dubrovnik

 
 
城壁内にはホテルは2つしかない、窓から中世の街並と鐘の音、外は雨。先週まで東京に居たことが信じられない・・・。遅めのランチを終え、雨も降っているのでホテルでのんびり過ごす。こじんまりしたロビーも素敵。

 

Dubrovnik

   
 
 
クロアチアのイストラ半島は世界的なトリュッフの名産地。ランチに頂いたラヴィオリのトリュッフの芳香の余韻が夕方になっても残っているよう。ホテルの近くにトリュッフのお店があり、それはそれは大きな宝石のようなトリュッフの瓶詰め。こんなに沢山頂いたら、きっと芳香で気を失いそう・・・。

 

Dubrovnik

 
 
クロアチアはイタリアに近いという地理的条件もあってイタリア料理を少し素朴にした感じのものが多い。生ハムもイストラ産やダルマチア産など味もさまざまで海の塩を使ったものもある。蛸のカルパッチオはイタリアと同じく薄いスライスがモザイクのよう。Brodet ブロデットはアドリア海近海で取れる新鮮な魚介類とトマトにハーブ、スパイスを加えて煮込んだクロアチア風ブイヤベース。素朴な海のご馳走という感じ。

 

Dubrovnik

 
 
 
クロアチアはその温暖な気候からワインの醸造もとても盛ん。Posip ポシップはコルチュラ島特産、香の高い白ワイン。Malvazija マルヴァジアはイストラ半島で作られる黄金色の濃い白ワイン。Plavac Mali プラヴァッツ・マリはダルマチア地方で取れるぶどうを使った代表的な赤ワイン。こんな説明を聞きながら、少しずつグラスで頂ける素敵なワインバー。

 

Dubrovnik

   
 
 
2011年も残すところ明日一日。街は既に大晦日の雰囲気、そこここで歓声が上がり、カフェのテラスで過ぎ行く年を楽しんでいるよう。ドゥブロブニクの城壁をバックに美しい2012年のイルミネーション。

 

Dubrovnik

 
 
 
まだ夜の明ける前に朝食を頂く。昨日のランチが素晴らしかったのはひとえにトリュッフのおかげ、と思っていたら、この朝食の卵料理が大変に素晴らしく、思わず写真を撮る。何かの本で世界一美味しい半熟のゆで卵、や世界一美味しいオムレツ等と言う記事を読んだことがあるけれど、正にそんな気分。半熟の具合といい暖かさといい、パンの焼き加減といい。パリの4つ星でもこんなに美味しい朝食をサーヴィスしているところはそうめったにあるものではない・・・。

 

Dubrovnik

 
 
ラグーサ共和国の旧総督邸。ラグーサ共和国とは、1358年にハンガリー王国から独立したアマルフィ、ヴェネツィア、ドゥブロブニクから成る海洋国家の共和国。総督の任期はわずか1ヶ月で往時の暮らしが垣間見られる。

 

Dubrovnik

 
 
14世紀ロマネスクの修道院、Franjevacki Samostan フランシスコ会修道院。美しい回廊に面した世界でも3番目に古い薬局。中世に使われていた薬壷なども見られる。そして今も薬局として機能しているようで、薬を買いにきた老人にすれ違う。

 

Dubrovnik

 
 
 
 
中央にドームを持つ壮麗なバロックの Katedrale 大聖堂。12世紀から14世紀にかけて建てられたが、1667年の大地震で倒壊し現在の建物は18世紀に建てられた。街の守護聖人、聖ヴラホの遺骨を納めた聖遺物や黄金の装飾品が納められている。主祭壇の祭壇画はティツィアーノの作品。ヴェネツィア共和国との繋がりを感じる。

 

Dubrovnik

 
 
 
ようやく夜が明けて Franjevacki Samonstan フランシスコ会修道院の鐘楼が朝焼けの空に美しい。昔は海だったと言う約200mのメインストリート、プラッツア通りもまだ人もまばら。通りに面した美しい回廊は1498年ごろに建造されたもの。奥は博物館になっている。美しいロマネスク建築。この中に世界で3番目に古いと言われる薬局がある。初期の印刷技術を偲ぶ事の出来る蔵書を持つ図書室もある。

 

Dubrovnik

   
 
 
1438年に作られ当時は貯水や水道の役を果たした噴水。1667年の大地震で彫刻はかなり失われた。今も蛇口部分の頭像から水がほとばしる。夏は街の憩いの場だと言う。

 

Dubrovnik

 
 
この城壁内にも住人の方々はお住まいなわけで、城壁の上に巡らされた遊歩道に近くなると「住宅地」らしき雰囲気になる。みなさん、玄関先を観葉植物、いえおおらかに生い茂ったゴムの木で飾るのがこのあたりの習わしなのか?急勾配の坂の途中にお玄関がありゴムの木が茂る、と言う通りがいくつもある。

 

Dubrovnik

 
 
夜が明けて来ると今日は快晴。旧ユーゴスラヴィア軍が紛争のさなか1991年12月6日、2000発もの砲弾を街に撃ち込んだ。城壁内の旧市街の多くは破壊され多くの市民が犠牲になった。ホテルの部屋から見ると新旧混在する屋根瓦がその空爆の凄まじさを物語る。平和な青空に感謝しつつ、ドゥブロブニクの一日が始まる。

 

 

Dubrovnik

   
 
 
城壁の上に巡らされた1周焼く2kmの遊歩道を歩く。ピレ門を上がるとプラッツア通りが一望でき、背後にはスルジ山がそびえる。

 

Dubrovnik

 
 
最も高所にあるミンチェタ要塞を目指すように登って行く。風が強くて危うく飛ばされそうになりながら!

 

Dubrovnik

 
 
城壁内の街を一望すると、本当に「新旧混合」屋根瓦に1991年の旧ユーゴ軍の空爆の凄まじさを目の当たりにする。澄んだ空と美しく光るアドリア海。平和のありがたさをかみしめながら、ミンチェタ要塞を目指す。

 

Dubrovnik

 
 
 

 

Dubrovnik

 
 
強風の中をひたすら登り、ようやくミンチェタ要塞にたどり着く。1319年に建造され15世紀に再建された。街を一望するとおとぎ話かディズニーランドのような気がする。

 

Dubrovnik

   
 
 
登りきって見るとクロアチアの国旗が抜けるような青空にはためいている。2011年最後の日、アドリア海を見ながら今年1年を振り返る・・・。

 

Dubrovnik

 
 
聖イヴァン要塞やレヴィン要塞、さまざまま要塞がこの年を形作っていることが、まるで地図のようによくわかる。アドリア海の深い青緑と、要塞の白い壁のコントラスト、照り付ける強い太陽の光。あまりの美しさに何だか現実ではないような気がする。

 

Dubrovnik

 
 
 

 

Dubrovnik

 
 
 

 

Dubrovnik

 
 
 

 

Dubrovnik

 
 
 

 

Dubrovnik

 
 
クロアチアには7ヶ所の世界遺産がある、ドゥブロブニクもそのひとつ。紺碧のアドリア海の真珠、とは正に、余りにも美しい・・・。1667年の大地震で殆どの建物は倒壊、その後はバロック様式で再建され街の様相は一変したという。そして1991年、クロアチア独立宣言後に続いた紛争で旧ユーゴの砲弾、空爆で街の8割が消失、何度も再建、修復を重ね今日に至っている事に思いを馳せつつ、美しいアドリア海をバックに空港へ向かう

 

Zagreb

 
 
ドゥブロブニクの素晴らしい景色が目から離れないまま、午後の飛行機でザグレブへ向かう。強風で飛行機が飛ばない可能性もあり、ドゥブロブニクで年を越すのかしら?と少々不安になる。ようやく飛ぶ事になり、危うく飛ばされそうになりながらタラップを急ぐ。離陸時はやはり風にあおられて揺れる揺れる・・・。真っ青な空にプロペラ、揺れるたびに景色が大きく動きジェットコースターに乗っているよう。無事ザグレブに着陸して本当にほっとする。

 

Zagreb

 
 
 
無事ザグレブに戻り、大晦日の夜を迎える。ホテルの部屋からは、イェラチッチ広場にはすでに今晩の年越しライヴのために沢山の人が集まり始めているのが見える。目抜き通りもライヴのためにチーズやホットワインを売るスタンドだけに。

 

Zagreb

 
 
 
軽くディナーを済ませ、ホテルのお部屋からカウント・ダウンライヴを楽しむ。クロアチア産のスパークリングワインで旅の無事を祝して、まずはほっと乾杯。また来たる2012年が良い年でありますように・・・。新年を迎える前に眠りに着く私。

 

Zagreb

 
 
3泊の短いヴァカンスもおわり。クロアチアを満喫しておまけにモンテネグロの世界遺産も訪れることが出来てとてもリフレッシュになった。同じヨーロッパでも、旧ユーゴスラビアの「中欧」といわれる国々はチェコ、スロバキアしか行ったことが無かったのでとても新鮮な4日間。クレシュのチョコレートや、果物の蒸留酒、クロアチア発のコスメブランド、アロマティカのクリームやドゥブロブニクの伝統織物などお土産も可愛らしい。ユーロになって久しい中、クロアチアでは(モンテネグロはユーロ)久しぶりに換金した。KunaクーナとLipaリーパ、1Kn(クーナ)=100Lipa(リーパ)=約15円。旅先の硬貨を集めていた若い頃を思い出す。

 

Zagreb

 
 
 
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2012年も明け、今年もやっぱり朝一番の飛行機でパリに帰る。ザグレブは首都の空港とはいえ、パリとは違い真っ暗。再び見えないタラップを上りながら機内へ。夜が明け切る前に離陸となり、太陽に向かって飛び立ったよう。今年も良い1年でありますように・・・。
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