2015 November
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さまざまなセレモニーを終えてパリに戻る前に初冬の軽井沢へ。紅葉も終わりに 近ずき残り少ない赤い紅葉。枯れ葉を歩くカサカサとした音が冬の訪れ を感じ させる。澄んだ空気感が気持ちよく暖かくしてテラスでコーヒーを。森の匂いに 包まれるような素敵な時間。 |
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11月になったばかりだと言うのに、乗り継ぎのスキポール空港はもうすっかりク リスマス!年々クリスマスのイルミネーションが早まっているのはど この国で も同じ。何だか焦る・・・。KLMのラウンジはどんどん拡張されて、まるで空港ホテル?あまりにも巨大で 落ち着かない。 |
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先にパリに到着していたイラストレーターの友人M嬢と懐かしいセンチメンタルジャーニーへ。高校生の時から「イラストレーターになりたい!ジュエ リーデザイナーになりたい!」と机を並べていた私達。パリでもどのくらいの時間を一緒に過ごしただろう・・・・?パリに着いて最初に住んだアパル トマン、つまり彼女が私を初めて訪ねてくれたアパルトマン。地味だったこの界隈も今ではスターバックスも出来て、昔よく勉強していた地元カフェも すっかりおしゃれなカフェ・バーに。母も長くここに滞在していたので次々に思い出が蘇り少し息ぐるしい。 |
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パリで最初に働いていたP氏のブティックのあるこのエリア、モード学校のエス モードもありヴィクトワール広場も近い。かつてのブティックは今では 不動産 屋になっている。奥の階段を上って行くとアトリエがあってパリコレの前 は徹夜で働いていたっけ・・・。M嬢が訪ねてくれた時の、ビーズ の散乱するア トリエで他のアシスタント達と楽しそうに写っている懐かしい写真は私の青春の宝物。 今も仲良くして頂いているP氏、本当にお世話になりました! |
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アトリエの作業が深夜におよぶと、いつもこのカフェでスーぺ(夜食)のサンド イッチトエスプレッソをテイクアウトしていた。そんな姿もM嬢は良く 覚えて いてくれて感激する。お互いまだ22歳だったあの頃・・・。ギャラリー・ヴィ ヴィエンヌのサロン・ド・テも母とよくランチをした懐かしい場 所。パレロワ イヤルの回廊を抜けてサンジェルマンへ。夢のようなセンチメンタルジャーニー は続く。 |
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11月11日、フランスでは「Armistice 」1918年休戦記念日という祝日。ドイ ツ降伏と第1次世界大戦終結を記念する日であり、今では戦没兵士を追悼する日 となっている。諸々の手続きで警視庁 に行くと記念碑の前にはフランス国旗に ちなんだ美しいトリコロールの花が供えられている。移民関係のセクションも祝 日明けとあって大混雑。まだ夜 に起こるテロを知る由もなく・・・。 |
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再びM嬢とのセンチメンタルジャーニー、新婚の頃住んでいた7区のアパルトマ ンを訪ねる。私達が2ヶ月にもおよぶ長い新婚旅行でアメリカに行って いる 間、M嬢はここに住んでいたのでお互いに思い出は尽きず。サンジェルマンにブ ティックをオープンする事が出来たのも、今の生活があるのも、全 てはこのア パルトマンから始った。もう24年も前のこと・・・。お互いに夢が成就して、 こうして今も仲良くしている事に深く感謝する夜。 |
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何も知らずにサンジェルマンの我が家で昔の写真などを見ながらすっかり寛いで いた私達。帰りのタクシーを呼ぶ時点でもまだ異変には気がつかず、街 に出て もカフェやレストランでもまだ「何かあったらしい・・・」という程度。タク シーがないなら歩いて帰る?とM嬢をRUE DE BACまで 送って行く。 翌日からは誰もが外出を控えタクシーに乗る人は居ない。ビストロもガラガ ラ・・・。モンパルナス・タワーのトリコロールのイルミネー ションが胸をし めつける。 |
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緊張感と閉塞感でいっぱいいっぱいの日が続く。誰もが「大丈夫!」と自分に言 い聞かせて何とか平静を保っているような精神状態。テレビもネットも 全てが テロ情報一色でカフェに来ても落ち着かない・・・。ようやく10日ほどが経ち 「快晴の月曜日」、こんな普通の事に本当に感謝する。必要最小 限の外出すら ものすごく疲れる・・・。再び所用で懐かしいアトリエに近いヴィクトワール広 場へ。颯爽としたKENZOさんの姿が印象的だったあの 頃、先週のセンチメ ンタルジャーニーがまるで遠い昔の事に様に感じられる。 |
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あまりの閉塞感に皆疲れ切っている。久しぶりの快晴、そして外出・・・。先週 M嬢と訪れた懐かしいエリア、すっかり思い出して少し歩いてみる。 ジュエ リーデザイナーになる事を決めた短大生だった頃、下見のために滞在した小さな ホテルは今も健在。路もすっかり舗装されて今では素敵な散歩 道。偶然扉が開 いて私が滞在していた階まで上がって行く。テロ以来塞がっていた感情が溢れ出 す様にさまざまな思い出が蘇る・・・。若き芸術家たち が一棟のアパルトマン で繰り広げる人間模様を描いた映画「C階段」に憧れていた私は、それにシンク ロするようなこのホテルの生活がとても気に入っ ていた。 |
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久しぶりに問屋に行くのも公共交通機関を使うのはためらわれるのでタクシー で・・・・本当に疲れる。P氏のアトリエで働いていた頃、オートク チュール のアクセサリーのために羽やボタン、アンティークのビーズなどを探しに来て以 来、27年もの長いお付き合いのこの問屋さん。オーナーが代 替わりして今で は同世代、懐かしい話で盛り上がる。誰もが「何か楽しい話がしたい!」と渇望 しているような雰囲気。私のブティックがオープンした 時も来て下さったF 氏、「コレ、MOMIのブティックのカードでしょう?」。奥の倉庫は27年前 と全く変わっていない・・・。パリのオートク チュールの奥の深さを感じる。 |
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チャリティーの活動もようやく少しずつ再開。本来は今週、聾の子供たちと「紙 粘土でアクセサリーを作る」というワークショップを開催するはずだっ た。で も今のパリはテロでそれどころではない・・・。展示するはずだったブティック も少し寂しげ。早く平和な日が訪れますように・・・。 |
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サンジェルマンの車事情は日本からは想像できない程・・・。車の台数に対して 圧倒的にパーキングが不足している!偶然にも幸運な事に我が家はほぼ 目の前 にパーキングがあるけれど、ロットを借りるまでにナント4年も待ってようやく 車を購入した。リーマンショック以来サンジェルマンで車を所有 する人が劇的 に減って少しは条件が良くなったけれど、相変わらず狭いところに寿司ズメ状態 のこのパーキング、少しでも良い条件の新しいロットを探 すために張り紙を出 す。ブティックもアパルトマンもこうして一つひとつ自分で探してきたことを思 うと、よくぞここまで・・・と気が遠くなる。 |
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緊張感と閉塞感、本当に息苦しい毎日が続きパリを離れられる事がこんなにも嬉 しいとは。まだ夜の明けない空港に到着する。いつもはヨーロッパ内の 日帰り 出張のビジネスマンでごった返すこの時間、ロビーもラウンジも静まり返ってい る。誰もが移動したくない・・・。1990年から91年、湾岸 戦争の影響で 国際線だと言うのに10人くらいしか飛行機に乗っていなかった時代を思い出す。 |
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diary index | あまりにも衝撃的なテロ事件で、どうしようもない閉塞感に苛まれた11月もよ うやく終わる。フランス人の友人から「エッフェル塔は自由のシンボル であっ て欲しい」と美しい写真が届く。本当に長かった11月、新しい月を迎えて何と か気持ちを切り替えたいもの。何でもない日常の、当たり前のよ うな小さな出 来事・・・すべてに感謝する。 | page top |