After Corona in Paris 202205

 

 
 
ようやくコロナが収まりはじめ帰国後の隔離も解除になった途端、ウクライナの戦争が始まりロシア上空は飛べなくなった。航路を変えて18時間の直行便か南回りの中東系キャリアか?エミレーツ航空のドバイ経由で久しぶりにパリへ。静まり返った成田空港のロビーに昨年の緊急事態宣言下の出発と、’91年の湾岸戦争の頃を思い出す。

 

 
 
100回以上成田空港からパリへ発っているけれど、初めてのターミナル2は中東系のキャリアの出発ロビー。オリンピック仕様で全てが新しくカラフル。ほぼ同時に離陸するカタール航空はナント前倒しの出発・・・、乗り遅れる人は居ないのだろうか?エミレーツの機内はミールサービスが終わると天の川のようなライトに変わる。

 

 
 
成田からドバイまでは11時間20分の飛行、直行便なら既にパリに着いているはず。ドバイ国際空港は世界最大規模の空港であり、ロンドンのヒースロー空港を抜いて旅客数では世界首位とか。乗り換え先のターミナル3は世界最大級の空港ターミナル、朝の4時過ぎだと言うのにコロナも関係なく乗り換えは長蛇の列。アジア・オセアニアとヨーロッパを繋ぐハブ空港だけあって、インド・パキスタンなど南アジア、アフリカ諸国、東南アジアにオセアニアと実に様々な人種がごった返す。

 

 
 
至る所にサインがある祈禱室、国際空港とはいえ金曜日の午前中はお祈りのためほとんどの業務がストップするという。初めての中東系空港に興味は尽きない。

 

 
 
 
馴染みのない国や秘境で見つけるマクドナルドは、安堵であり憩い。初めてみるアラビア文字の「マクドナルド」、イスラム教徒も安心して食べられる「ハラールフード」なのだろうか?インドでマックを見つけた時には感激したけれどネパールやブータンでは見かけなかった記憶、巨大なカップの薄いコーヒーにようやく寛ぐ。

 

 
 
清潔は信仰の半分であり、洗浄は崇拝行為とされるそうでトイレにはハンドシャワーが設置されている。手足を洗うブースもあり、洗面台で手足を洗う人も多く常に床が濡れているので滑らないように注意しながら歩く。

 

 
 
空港内の免税店は金ピカのインテリア、金のパームツリーとラクダの横には満艦飾のコーヒーセットやナツメの甘いお菓子、お祈りのための美しい絨毯のようなマットなど珍しいグッズが並ぶ。 ミルクチョコレートはラクダのミルク、車や不動産、金の延べ棒を売る免税店もあり驚く。

 

 
 
全てが世界最大級のドバイ空港では乗り換えも到着も長い長い道のりを歩く。そのせいか、ベビーカーの無料貸し出しスタンドが至る所にあり子供連れには便利そう。世界中の空港でも珍しいサービスなのでは?

 

 
 
 
ようやく夜が明け始め朝焼けの滑走路にはエミレーツ航空のジャンボジェットが果てしなく並ぶ。滑走路に旅客機が一機しかなかったコロナ禍、久しぶりに壮観な空港の光景を楽しむ。

 

 
 
美しいイスラム装飾が施されたガラス越しに強烈な朝陽が差し込むロビー、パリにあるアラブ研究所を思い出す。眩しいガラスのシェルターをくぐる様に抜けて機内へ。

 

 
 
夜が明けた途端、目を射るような光が溢れる滑走路。エミレーツ航空の本拠地であるアラブ首長国連邦(UAE)の建国50周年を記念した特別デザインのエアバスA380に搭乗。エール・フランスでは2020年に就航が終了した世界初の2階建旅客機、世界最大の旅客数を載せる世界第2位の大きさを誇る機体はやはり巨大。

 

 
 
機内のスクリーンに映る飛行ルートもアラビア文字、南回りでパリに帰るのは初めてなので興味深い。ドバイからパリまでは7時間30分となかなか遠く、その昔ブラジルに行った時を思い出す。

 

 
 
ようやくシャルル・ド・ゴール空港、ターミナルCに到着。エールフランスが到着するターミナルEと違い、中国やアフリカからの便が次々に着きロビーは正に人種のるつぼ。荷物のターンテーブルも入国を待つ列も「密」、コロナ関連のポスターも剥がされ、出国前に用意したワクチンパスポートもQRコードも全く必要ナシ・・・。完全にアフターコロナが始まっているパリ。

 

 
 
 
5月のパリは陽も長く一年で最も美しい季節。昨年は「緊急事態下の日本からロックダウン中のパリへ」と言う異常事態で外出も自宅から1キロ以内&1時間以内、スーパーは19時にサイレンと共に閉まっていた事がウソのよう。サンジェルマン・デ・プレ教会は何事もなったかのように佇み、久しぶりのアペリティフを楽しむ。

 

 
 
時差で早く目覚め6時過ぎには早速カフェへ。オーナーに帰って来たご挨拶とお土産を渡し、預けてあった鍵や留守中の伝言を受け取る。パリのカフェには床が開き、電動式のリフトで地下にゴミや空きボトルを処理する驚くべきシステムがある。作業を眺めつつコーヒーの香りに包まれ近況をお喋り、お馴染みの顔に帰って来た実感。

 

   
 
 
美しくディスプレイされた留守中の郵便物、思いやりに感謝しつつすべての書類に目を通す。支払うべき請求書に合わせ小切手にサイン、パリの生活の維持費の高さに驚く。建物が古く美しいのはこの膨大な管理費のおかげ、数年に一度の外壁洗浄の年などはその金額が跳ね上がる。

 

 
 
 
久しぶりのパリは朝から雑用に追われる。銀行やお役所の開いている時間がそれぞれ違い、更に曜日によって違う、と言うのも信じられないけれど恐るべきはパーキングロットの激減。ついこの間までロットがあったはずの場所がベリブ(乗り合い自転車)の駐輪場に・・・。仕方なく遠くに停めて美しいパッサージュを抜けて銀行へ。オマケのお楽しみこそパリ生活の醍醐味?

 

 
 
覗いてみたいブティックも「車が停められたら」がマスト条件のためなかなか行かれない。ヴィンテージの食器やリネンを見ている内に駐禁を取られるなどとんでもない!運よく目の前にパーキング、久ぶりにゆっくり店内を眺める。田舎の家を再現したテーブルや美しいディスプレイも楽しい。

 

   
 
 
 
本の取材のため、かつて住んでいたアパルトマンを訪ねる。中庭に面した管理人室には懐かしいマリア、私を見るなり「MOMI!」と熱い抱擁。 ひとしきりお喋りしつつ住人の近況を聞く。ここに住んでいた7年間に私の仕事は急速に展開した懐かしい場所、美しい螺旋階段を上った最上階が私のアトリエだった。

 

 
 
 
18世紀~19世紀につくられたパッサージュが長く連なるこの街区、取材を受けたり打ち合わせをした懐かしいカフェや友人達が泊まっていた「ホテル・ショパン」も健在。パリ市の重要文化財に指定されている名刺のブティックはインテリアはそのまま、カフェになっていた。

 

 
 
車が停められたのをいいことに懐かしいお散歩は続く。昔良く通ったビストロ、シャルティエは映画に出てくるような19世紀そのままのインテリアが美しい。コロナの影響もまったく感じられない昔ながらの雰囲気にほっとする。

 

 
 
 
ようやく膨大な雑用を終えカフェへ。朝のエスプレッソに始まり一日の終わりにはアペリティフ、パリの生活にカフェは欠かせない。この季節のワインはもちろんロゼ、オリーブをつまみつつフルーティーな香りに癒される。冷えたロゼワインはパリの初夏のお約束。

 

 
 
パリ市は様々な政策で車を追い出そうと躍起、街中のパーキングロットはベリブの駐輪場やオートリブ(乗り合い自動車)の駐車場、電動自動車のバッテリーチャージスタンドへと変わり、地下駐車場のない街区ではパーキング難民に。そしてこの優雅な騎馬警察、後ろからクラクションを鳴らすわけにもいかず、歩いた方が早いと悟る。

 

 
 
久しぶりに覗くマルシェはすっかり初夏の彩り。木箱に入った輝くようなイチゴ、フランスらしい不思議な野菜のアーティチョーク(朝鮮アザミ)、見事な房のブドウなど初夏の野菜や果物をカゴに入れる。

 

 
 
学生の頃、毎日のように通っていたオデオン界隈。34年前、生涯の親友となる友人と出会ったギャラリーも変わらず健在。本の取材で本文に出てくる場所を訪ねるのも懐かしく、変わらない街と友情に感謝する。

 

 
 
 
ここ数年はコロナの影響で外食もままならず、久しぶりにチャイナタウンのラオス料理のレストランへ。シラク前大統領が区長であった時代に一斉に整備された街路樹が美しい13区、木陰のテラスはまるでラオスの古都ルアンパバーンの様。フレッシュな香草たっぷりのラオス料理は爽やかで初夏のランチにぴったり。

 

 
 
昨年の5月19日、コロナで長く閉まっていたカフェが解禁になり街中に人が溢れ、道や歩道に設けられた特設テラスは黒山の人だかり、その賑わいは凄まじかった。あれからもうすぐ一年、マスク着用義務も解除も近くすっかり元の姿を取り戻したカフェ。

 

 
 
爽やかなお天気が続くこの時期のパリ、ビストロのテラスで久しぶりに友人とディナー。通りがかる懐かしい顔に手を降ったりハグしたり、アペリティフを飲みながらひとしきりお喋り。21時を過ぎてもまだ明るく、暮れ行く街の美しさにしばし立ち止まる。

 

 
 
今年で18回目を迎える「La Nuit européenne des Musées」「ヨーロッパ 夜の美術館」はヨーロッパの各都市の美術館が24時まで無料で開放される。2020年は11月、昨年は7月の開催とコロナの影響を受けたけれど、今年は例年通り5月14日の夜。友人と早目のディナーを済ませ、安藤忠雄氏が手掛けた現代美術館「ブルス・ドゥ・コメルス」に向かう。既に長蛇の列・・・、並んでいると来られない友人分のチケットをあげるという人が現れあっという間に入場する。

 

 
 
歴史的建造物である旧証券取引所であったこの場所を現代ア―トのコレクター、フランソワ・ピノー氏が世界中から蒐集した1960年以降の作品を展示する美術館にする、と言う壮大な企画。2015年にパリ市からオファーを受けたピノー氏はヴェネチアの「プンタ・デ・ラ・ドガーナ」と同じく安藤忠雄氏に依頼。構想から長らくようやくオープンに漕ぎ着けたタイミングでのコロナ禍、昨年の5月その日を迎えた。模型を見るとその構造が良く解り空間のイメージが膨らむ 。

 

 
 
 
私が学生の頃はパリコレやモードの展示会場であった懐かしい場所。神殿のような建物の中に入ると自然光が差し込む巨大な吹き抜けに直径29メートル、高さ9メートルの円筒型の鉄筋コンクリートの構造が挿入されている。歴史的建造物とコンクリートに挟まれた空間を歩く不思議・・・。

 

 
 
 
16日から始まる「チャールズ・レイ展」の内覧会のような今晩、パリでは初公開でありこれだけの作品が集まるのは世界でも初めてだそう。チャールズ・レイは、1952年シカゴ生まれ、カリフォルニアを拠点にするアメリカ人アーティスト。ロダンに影響を受けたという作風はどこか懐かしいようなシュールな雰囲気、巨大な作品もこの大空間で小さく見える。

 

 
 
挿入された鉄筋コンクリートの円筒はそのまま地下に達し、ビデオアートなどを鑑賞する小さなホールを囲みぐるり、一周する。

 

 
 
 
24時近くなっても街は人で溢れ返り、初夏の風に吹かれつつその解放感を味わっているよう。昼間は大渋滞でゆっくり眺める余裕のない壮大なルーブル宮の東ファサード、この街の美しさを堪能する深夜のドライブ。

 

 
 
 
日曜日の朝、街のパン屋さんには朝食のパンを買うムッシューの列。普段は買い置きのパンやシリアルで済ませる人も多いけれど日曜日は特別。次々と焼きあがるクロワッサンも日曜日の朝のご馳走と言うフランス人は多い。石窯でじっくり焼き上げた重量感のある田舎パンはスライスして貰ってタルティーヌ(オープンサンド)に。香ばしいパンの匂いが市場に広がる。

 

 
 
 
焼き立てのバゲットをかじりながらセーヌ川まで朝のお散歩。ノートルダム寺院のファサードを臨む河岸には、バトーバス(船のバス)という遊覧船の停泊所がある。私が学生の頃はメトロと同じ定期で乗れる船が一般の交通手段として使われていた。いつもは自転車だった私も荷物が重い日はよくこの船に乗っていた懐かしい思い出。

 

 
 
2019年4月、大火災に遭ったノートルダム大聖堂。崩壊の危機にあった建物の保全作業もようやく終盤、2024年の公開を目指しているそう。コロナによる保全作業の中断や、鉛による汚染判明などで工程は遅れに遅れているけれど、「決してメゲない、遅れても省略しない」こそフランス、忘れた頃に完全復活するのもまたパリ。6階建ての集合住宅かと思う現場小屋も「国の威信にかけて」と言う気概を感じる迫力の規模。

 

 
 
 
パリも気候変動の影響か、年々暑さが前倒しになり5月だというのに灼熱と酷暑の気配。カフェのテラスも目を射るような照り返しで座って居られない。マルシェで見つけたフレッシュな香草をたっぷり添えて、涼やかな我が家でヴェトナミアンのブランチ。

 

 
 
 
いつまでも日が暮れないこの時期、日中の暑さが鎮まるとカフェのテラスはアペリティフを楽しむ人で再びごった返す。人気店の行列はパリでも同じ、並んでいるお客さんに冷えたキールを配る粋なサービスも。皆さん本当に楽しそう!

 

   
 
 
日が暮れるまでカフェでアペリティフを楽しむと既に22時近い。ディナーと言うよりアペリティフの続きのようなチーズプレート、食べ頃のサン・マルセランはスプーンですくってトロトロを頂く。ロワール地方の軽い赤ワインをお供に。

 

 
 
パリに到着した1988年から年ごとに整理してある切手帖。学生の頃は時間もたっぷりあったので美しい切手を見つけては母に手紙を書いていた。メールですぐに伝わる今と違い時差やもどかしさも味わい深く、「往復書簡」のロマンは永遠。

 

 
 
1800年に誕生したパリで2番目に古いパッサージュ「パノラマ」。オープン当初、入口の上部に作られた2つのパノラマ(回転画)がその名前の由来とか。ヴィンテージの切手を扱う切手商が軒を連ねる。組合長が大の日本びいきでパッサージュの中にはGYOUZA-BARもあり、2015年には名古屋の円頓寺商店街と姉妹提携を結んだというのも驚く。

 

 
 
パリの初夏のお楽しみ、ホワイトアスパラガス。マルシェで選んだ大ぶりのアスパラガスを水からコトコト茹でる。キッチンに広がる芳しい匂いに季節を感じつつ、まずは塩・胡椒だけで味をつけた極上のスープを。溶かしバターにトリュフを入れたソースを添えて恭しく頂く。アスパラガスを象ったバルボティーヌ(フランス語ででこぼこの意味)のお皿があるほど、パリの人には初夏のご馳走。

 

 
 
 
 
コロナの影響で臨時閉館や時短開館が続いたポンピドーセンター、車椅子用のエレベーター設置工事も終わりようやく通常通り。久しぶりに訪れるエントランスの巨大空間、インスタレーションの合間を歩くように鑑賞する自由な雰囲気はやっぱり格別。 灼熱の太陽に金色の植木鉢のオブジェが眩しい。

 

 
 
強い日差しに疲れた目を休める地下のフォト・ギャラリー。1958年生まれのドイツ人「ヨヘン・レンペルト」はオランダの国境にほど近いメールスに生まれ生物学を学んだ後、映像・パフォーマンスに関する活動を行い90年代以降写真家として活動する写真家。自然、生物に焦点を当てた作品は「植物好き」の私には興味深い。

 

 
 
イヴ・サン・ローランのパリコレデビュー60周年の今年、ピエール・ベルジェ・イヴ・サンローラン財団はパリを代表する6つの美術館で「Yves Saint Laurent Aux Misées」を開催中。ルーブル美術館では彼の「ゴールド」への愛、ポンピドーセンターではその現代性を、ピカソ美術館ではパブロ・ピカソが、オルセー美術館ではマルセル・プルーストが彼の作品に与えた影響を。パリ市近代美術館ではその色使いに焦点を当て、イブ・サンローラン美術館ではサンローラン個人のアーカイブから膨大なコレクションを展示している。

 

 
 
ポンピドーセンターではサンローランが絵画にインスパイアされてデザインしたドレスの数々を展示。ピート・モンドリアンの「赤 青 白のコンポジション」、アンリ・マチスの「ルーマニアのブラウス」、パブロ・ピカソの「バッハのアリア」とそれぞれにインスパイアされた作品が並ぶ。これだけの美術館が一堂にサンローランへの敬意を評していることにフランスにおけるイヴ・サン・ローランの偉大さを知る。

 

 
 
イタリアのトリノで活動する抽象画家、ジョルジオ・グリッファ。リネンにアクリル絵の具で描くグリファの作品は展示の際、直接釘付けされ展示されていない時は折りたたんで積み重ねる、その結果作品の基礎となる「グリッド」が作成されるというのも面白い。86歳の弁護士出身のアーティストとの思いがけない出会いこそポンピドーセンターの楽しさ。

 

 
 
 
灼熱のパリ、ポンピドーセンターのアクリルチューブのエスカレーターはサウナの様な暑さ。それでも各階のバルコニーがら眺めるパノラミックなパリの景色は素晴らしく、再び気合を入れてエスカレーターを乗り継ぐ。夏の空を思わせる入道雲が浮かぶ空、5月だというのに全てが真夏のパリ。

 

 
 
旧証券取引所を改装した美術館「ブルス・ド・コメルス」と同時に、ポンピドーセンターでも展示されているチャールズ・レイの作品。ブルスの大空間では小さく見えた彼の作品も、真っ白いショウケースのようなインスタレーションの中では迫力の巨大さ。

 

   
 
 
 
ポンピドーセンターの最上階、グランドギャラリーの展覧会はいつも大変なボリューム。暑さに疲れた体には少々ヘビーな濃厚な展覧会。膨大な展示品がインスタレーションと言うより「各部屋」に緻密に展示され、熱心に見入る人々の数もスゴイ・・・。

 

 
 
 
21時を過ぎるとようやく日が暮れ始め、エッフェル塔を中心にした大パノラマは刻一刻と変化する空に合わせてその表情を変える。暑かった一日を想い、いつまでも眺めていたい美しさに癒される。

 

 
 
今年も支払い済みの固定資産税に追徴金請求の書類が届く。毎回の事ながら驚きつつも慣れたモノ、税務署に直談判に出向く。一応のソーシャル・ディスタンスで並ぶ事小一時間、前のマダムも後ろのムッシューも喋る喋る。ようやく私の番になると受付のマダムは「あら、日本に居たの?良いわね~、大好きよ日本!」とこちらも喋る喋る、無事支払い済の証明書を貰うまで数時間、パリらしい午前中を過ごす。

 

 
 
雲一つない青空と灼熱の太陽、影の無いサンシュルピス広場は突っ切るだけで日に焼けそう。数年前に終わった教会と噴水のお掃除のおかげで今や真っ白な外壁の照り返しで目も開けらない。昨年はワクチン接種の列が続いた区役所も今はひっそり、パリは完全にアフターコロナの日常。

 

 
 
 
パリはいよいよの暑さ、我が家の通りはロックダウンでもないのに人っ子一人居ない。郵便を配るポストのマダムも真夏のイデタチ、いつもは通行人に妨げられる配達もいつになくスムーズ。カフェのテラスも静まり返っている・・・。

 

   
 
 
パリではカフェもレストランも冷房が入っている事は稀。そもそもフランス人は冷房が苦手と言う人が多く、どんなに暑くても冷房はなかなか定着しない。我が家ももちろん冷房はナシ、それでも中庭からの風が心地よく白いカーテンが涼やかに揺れる。今日も静かに我が家でランチ。

 

 
 
昨年の今頃はロックダウン中だったパリ、5月19日のカフェ解禁を境に街は劇的に賑わいを取り戻してから早一年。何かにつけてお祝い好きのフランス人、我が家の下のカフェは「鈴なりの人」どころかガードレールに腰かけたり、立ったままアペリティフを楽しむ人でむせ返る。22時近くまで明るいこの時期、爽やかな夜風に暑さを忘れる。

 

 
 
 
ようやく日が暮れアペリティフも終了。ディナーは軽めに生ハム、チーズの定番にプロセッコや赤ワインを併せて。パリは空気が乾燥しているせいか、暑くても赤ワインが美味しく感じるのも不思議。

 

 
 
 
あまりの暑さに涼しい早朝にすべての下ごしらえ、サラダの具材もベースのスープも準備さえしておけばキッチンに長く立つこともない。トッピング用のハーブを刻むと爽やかな香りが広がりアロマテラピーの様。

 

 
 
フランス人は個人主義でありながら、人とモノを共有する事が意外にも好き。ベリブ(乗り合い自転車)やオートリブ(乗り合い自動車)も盛んだったけれど、コロナ以来「共用しない」がキーワード、各自が自転車を持つことに。大学の前には山積みの自転車、駐輪用の柵はもちろん、ガードレールやパーキング入り口も自転車だらけ。

 

   
 
 
建物ごとに様々な業務を依頼する管理事務所、サンディカ。共有部分の工事などは毎月の積立金から出金されるけれど、その金額は東京とは比べ物にならない。数年に一度の外壁の洗浄の年など、とんでもない管理費の請求が来る。コロナで郵便が滞り、請求書が来ないから払えない、延滞金の付いた次なる請求書だけ届くという不思議ないたちごっこ。結局「直談判」が解決の近道、リモートの時代はまだ遠い・・・。

 

 
 
 
東京に住んでいたら「直談判で喧々囂々」など無縁、全てはオンラインで無言で済むはず。サンディカの担当者と正に喧々囂々、疲れ切って外に出ると灼熱・・・、パリの生活は本当にパワーが要る。涼やかな我が家で静かなアジアンランチに癒される。

 

 
 
午前中は建物の管理事務所、午後は移民局と渋いパリの日々。コロナの影響で全てのアドミスとレーションが遅れに遅れているパリ、ネットで予約できるはずの警視庁のアポイントも既にいっぱいいっぱい、再び直談判に出向く。

 

 
 
コロナ前はこの影一つない通路に待つこと8時間、日本ではあり得ない待ち時間に気が遠くなった思い出。今は全てがオンライン、と言うことになってはいるけれど、それはあくまで建前上の絵空事。ネットも電話も直談判もダメ、となるとクラシックな「手紙を書留で送る」が意外にスムースな交渉手段。

 

   
 
 
普段は大渋滞のコンコルド広場も余りの暑さに車がいない。久しぶりに聳え立つオベリスクを眺め、ルクソールで発掘されてパリまでの歴史を想うと果てしなく気が長い事を悟る。車が唯一の冷房空間、さながらパノラマ映画館のよう。

 

 
 
 
ヤギの乳から作る真っ白いシェーブルチーズ、淡泊でクセのないクリーミーな味わいは初夏のオードブルにぴったり。胡椒とナッツでアクセントをつけて苺と併せて頂く。甘い栗のペーストを載せたデザートにしても美味しい。

 

 
 
早朝から警視庁に並ぶ。運転免許証の住所変更から、車の車検証、全てはこの警視庁で登録するパリ。一番乗りかと思いきや既に長蛇の列、定刻に開かないセキュリティチェックに扉を叩く人や叫ぶ人、皆さん本当にパワー全開。おとなしく待っているのはやっぱりアジア系、列の前に並ぶ韓国人が肩をすくめる。

 

 
 
冷房のないパリで、植物園は意外な穴場的涼しいスポット。記録的猛暑だった2003年、当時のシラク大統領がヴァカンスから急遽戻り対応したけれど既に時遅し、一万人以上が暑さで死んだ。先進国とは思えないこの事態に急速に冷房が普及したけれど、それもごくわずか。森林浴のような木の匂いとミストによる冷却、アロマテラピーのような素敵な植物園。

 

 
 
 
普段はなかなか通る事のないパリ12区のオーステル駅周辺、新しい建築物が次々と建ちパリとは思えない光景に驚く。ビルの向こうに見えるリヨン駅のクラシックな時計塔、セーヌ川の洪水を避けるため小高い盛り土の上に建つレトロな駅舎は1847年の建設とか。新旧が入り混じった不思議な光景もまたパリの一面。

 

 
 
12区から環状線を走り13区に入ると景色は益々近代化。ブティックの管理組合が入るこの巨大なオフィスビルはまるで丸の内のよう。 相変わらず続く「直談判」、ネットも電話も書留もダメだったと言う私に「来るのが一番!」とにこやかにウィンクするマダム。フランス人は本当に人懐っこい。

 

 
 
 
昨年の5月19日をもって一斉撤去された無料PCR検査のテント。友人でもコロナに罹っていない人はいないと言う集団免疫を獲得したパリでは、マスク義務撤廃と同時に徐々に検査テントが復活。コロナはインフルエンザと同じように「誰でも罹るウィルス」、検査も気軽、陽性でも大騒ぎにはならない。

 

 
 
 
サンジェルマン・デ・プレ教会が窓から見えるという友人宅に午後のお茶に伺う。各サロンごとに「黄色い部屋」「ピンクの部屋」とカラーコーディネーションされていて、ナポレオン3世の時代の燭台やヴィンテージのクリスタルグラスなどが美しくディスプレイされている。サンジェルマンとは思えない静けさ、芳しいエスプレッソを頂きながら近況をお喋り。

 

 
 
 
夕暮れを眺めながらカフェでアペリティフを楽しみ、ディナーは涼しくなった我が家で。七面鳥はパリではポピュラーな食材、ミントやオリーブと炒めてクミンパウダーやガランマサラなどのスパイスで中近東風に仕上げる。スパイスに合わせてロワールの赤ワインをお供に。

 

 
 
車検は来年だけれど、タイヤ圧など諸々のチェックに定期的に訪れる16区のNISSAN。担当者が15年も変わらない事にも驚くけれど、お嬢様がもう就職と聞き更に驚く。「お互い年を取るわけだ」と近況をお喋り、フランス人は本当に良く家族ことを話す。

 

 
 
久しぶりに来る16区はサンジェルマンと違って街区も大きくゴージャス。友人がボランティアをしているローマカトリック教会、Notre Dames de Grace de Passyを訪ねる。住宅街に教会が組み込まれている街並みは珍しく、美しい3つの身廊にパイプオルガンの音色が響く。

 

 
 
 
 
パリ西郊、ブローニュの森の南側に位置するアルベール・カーン美術館。2012年の建築コンペで選ばれた隈研吾氏設計の設計でリニューアル、今年の4月にオープンしたばかり。建物の外壁は折り紙のようなアルミのパネルで覆われ、庭園側はオーク材のパネル、建物に入るとガラスの向こうに広大な庭園が広がっている。建物と庭園を繋ぐ「縁側」を歩く不思議な空間体験。

 

 
 
1860年、アルザスにユダヤ人として生まれたカーンは戦争に翻弄されながらも16歳で単身パリに渡り、紆余曲折を経て南アフリカの金鉱・ダイヤモンド鉱の投資で莫大な富を築き、38歳で自分の銀行を設立する。反ユダヤ感情の渦巻く中、私財を投じて「世界周遊」と「地球映像資料館」と呼ばれる2つの社会貢献事業に取り組んだそう。カーン自身も1908年11月から1909年3月まで、北米を経由して横浜に到着、その映像がまとめられている展示は100年以上も昔の日本。

 

 
 
 
 
 
 
日本に魅せられたカーンは自邸に日本庭園を完成させるため庭師や大工を日本で雇い入れて連れ帰り、2軒の木造家屋を買い解体して持ち帰る。その後職人を日本から呼び寄せ五重塔を造り、大庭園の一部に日本庭園が完成したのだそう。4ヘクタールの庭園は他にフランス式庭園と果実園・バラ園、イギリス式庭園と温室など、五大陸を象徴する各庭園が共存している。

 

 
 
 
 
カーンの取り組んだ社会貢献事業のひとつ「世界周遊」はテーマも制約もない奨学金制度、15ケ月をかけて世界を一周し見て来た事を交流の場で話す。交流会にはタゴールや新渡戸稲造なども招かれたという。もう一つの「地球映像資料館」は世界約50ケ国に写真家を派遣し、世界各地の生きた映像を保存するというもの。その資料の全てが綿密な分類によって保管・整理され展示されている。資料整理の重要性をひしひしと感じる・・・。

 

 
 
美術館とは思えない広大な庭園に呆然としつつひたすら歩く。よく見ると私の大好きな「不思議な植物」があちこちに、植栽も様々に趣向が凝らされている事を知り次回は植物観察に来たいと思うほど。

 

 
 
パリ市は躍起になって車を追い出そうと様々な政策。パーキングロットはカフェのテラス席や、ベリブ(乗り合い自転車)・オートリブの駐輪・駐車場、電気自動車のバッテリーチャージのターミナルに・・・。4車線の大通りの半分を自転車専用にするなど自転車最優先。エッフェル塔を眺めながらサイクリングの自転車族、今や車よりよっぽど優雅。

 

 
 
パリ市は躍起になって車を追い出そうと様々な政策。パーキングロットはカフェのテラス席や、ベリブ(乗り合い自転車)・オートリブの駐輪・駐車場、電気自動車のバッテリーチャージのターミナルに・・・。4車線の大通りの半分を自転車専用にするなど自転車最優先。エッフェル塔を眺めながらサイクリングの自転車族、今や車よりよっぽど優雅。

 

 
 
帰国を控えて72時間前のPCR検査にパリ郊外まで行く。パリは既にコロナの緊急事態はとっくに終わっているので、週末も検査が出来るラボはなかなか無い。土曜日の早朝、見渡す限り車の居ないシャンゼリゼ通り。いつもはルーレットのような凱旋門のロータリーも今朝はのんびり、そびえる凱旋門が迫り来る。

 

 
 
PCR検査もすっかり慣れたモノ、2020年のコロナ禍初期の頃は電話予約はパンク状態で直接ラボに行き交渉、全てアナログだったけれど今はネット予約でQRコードを取得、マシンにQRコードをかざすと検査票がプリントアウトされる。ほぼ完全にアフターコロナのパリもまだ海外に出る人は少ないのか、かつての長蛇の列とは程遠い。

 

 
 
 
郊外の高級住宅地ヌイィーの街、さりげなく路上にマクラーレンが。さすがヌイィー、よく見ると前後の車もばっちりぶつかっている。どうやって出るのだろう?

 

 
 
 
2014年のオリンピックに向けて急ピッチで整備が進むパリの街。至る所で修復やや改装が行われ、煽りを受けるのは車族。ただでさえ激減しているパーキングロットが次々と資材置き場に・・・。

 

 
 
 
フランスの冷蔵庫には霜取り装置がないのか?パリに暮らしたことがある人なら誰もが一度は悩まされる「冷凍庫の氷結」、電源を一旦OFFにして巨大な氷の塊を取り出す。「私はパリで何をしているのだろう?」と思うのも当然、唯一の救いは部屋中が涼しくなる事。クールなランチでようやく一段落。

 

 
 
パリの街中もコロナの影響もありWi-Fiの普及率はかなり高く、自宅の定期契約の必要も殆ど無くなった。解約のため契約書を見ると2009年、この十数年間にインターネット環境が大きく変わった事を実感する。

 

 
 
 
コロナによるロックダウン中にすっかり街の人気者になった巨大なクマ、臨時休業のカフェの中に可愛らしく座っていた昨年。テラス席に一堂に会するクマファミリー、写真を撮る人で道は大渋滞、パーキングロットがまた一つ消える。

 

 
 
 
快晴が続く5月のパリ、夕方になるとアンヴァリッドの広場は見渡す限りピクニックをする人達で埋まる。フランス人はとにかくピクニックが大好き、簡単なサンドイッチとワインを持って芝生に座る。

 

 
 
巨大な空間にアトランダムに並ぶ作品たち、インスタレーションか館内の施設か見分けがつかない。大きな作品の後には可愛らしい手芸のようなアーティスト、突然真っ暗になったかと思うと鮮やかなネオンの空間に巨大な木の根・・・。想像を越えた展開がオムニバスの様に続く。

 

 
 
自然や土着の民族が今回のテーマ、世界の植物やアフリカ各地の部族のインスタレーションが続く。木彫の不思議な植物が並ぶ仮想温室、一面に展示されている植物の不思議過ぎる形・・・、木彫だという事にも驚く。

 

 
 
パレ・ド・トーキョーは全てが規格外の大きさ、美術館のブックストアとは思えない広大なスペースに膨大な本が並ぶ。世界のアート雑誌のコーナーも興味深く、ヴィンテージのカタログなど・・・、何時間でも居られそう。インスタレーションかと思うアクリルのロッカーは安全性を考慮して中が見えるように、と言うアイディアとか。

 

 
 
ゆっくり美術鑑賞をした後ブックストアで心行くまで本を選び、それでもまだ明るいこの季節のパリ。家に帰るのも惜しくカフェで遅めのアペリティフ、ようやく街灯がともり始めドラマティックな夕暮れを楽しむ。

 

   
 
 
ようやく日が暮れてディナーとなる頃には22時を過ぎるのもこの季節、灼熱の日中がウソのように涼しい。街の喧騒をよそに静かな我が家で七面鳥とオリーブの煮込みに冷えた赤ワイン、ディナーが終わるともう真夜中。

 

 
 
PCR検査の結果をメールで受け取りひとまずほっとする。検査結果を持って厚生労働省の規定の用紙にサインとハンコを貰いに再びラボへ。「サインとハンコ」、いかにも日本らしい決まりごとにラボの先生方うんざり顔。日曜日の早朝、パノラミックなドライブを楽しむ。

 

 
 
 
出発前72時間以内のPCR検査が義務ずけられてからもう何度日仏を往復しただろう。コロナ禍初期の頃は長蛇の列で大混乱だったラボも、今では皆が要領を得てスムーズ。パリは完全にアフターコロナの日常が始まっている実感。

 

 
 
 
年々拡張し続けているシャルル・ド・ゴール空港、エミレーツ航空はターミナルCから離陸。奇妙な形のロビーに中近東方面へ出発する乗客が溢れインドのような不思議な匂い、エールフランスやJALの出発ロビーとあまりにも違う光景に驚く。パリードバイ間は満席・・・。

 

 
 
24時過ぎ、真夜中のドバイ空港に到着。乗り継ぎの乗客が溢れ、世界最大規模の24時間空港を実感。2006年まではトップ30にも入らなかったドバイ空港、ヨーロッパから見ると最も東の端、アジアから見ると最も西の端、8時間以内のフライトで世界の主要都市に飛べると言う地理的要因もあり航空業界の「新シルクロード」とか。更に降雪も無く空港拡張のため開拓する土地は砂漠、拡張に必要な環境調査など無用という利点も大きくあっという間に世界最大規模の空港に。

 

 
 
空港の免税店で車や不動産を買う人がいる事にも驚くけれど、昨今の金価格の上昇もあり金塊のブティックに群がる人々。満艦飾のインテリアの隣には砂漠を思わせるドライフルーツやナッツのスタンド。「金塊と砂漠」、これこそドバイなのかも知れない。

 

 
 
パリードバイ間はほぼ満席だったけれど、やはり日本行きは乗客が激減。世界最大級の旅客機、2階建てのA380 も2階はクローズ。見渡す限り乗客がいない機内、コロナ禍の往復を思い出す。

 

 
 
diary index コロナが始まったばかりの頃は帰国後、延々と書類審査を受け全てがマニュアルであった。今回はQRコードで読み取った質問票に入力し書類審査用のQRコードを受け取り、そのコードをかざすと私のデータがiPadに表示され審査終了。デジタル化が一気に進み全てがスムーズ。スマートフォンの画面が小さいので入力に四苦八苦、私はマニュアルでも良いかも・・・。最後の難関、PCR検査は変わらず。ようやく結果を貰い晴れて解放される。 page top

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