2006 Tunisia

1月6日 − 1月13日

 



 
 
パリから2時間半、初めてのアフリカ、チュニジアの首都チュニスに着く。
さっそく街へ!
フランス植民地時代の面影を色濃く残す街並とアラビア文字のコントラストが面白い!

独立後の初代大統領の名前をとった、ハビブ・ブルギバ通りはそのままパリ通りとなり、
その西端にあるBab Bahr(バブ・バール)は通称フランス門、その先が世界遺産でもある旧市街
Medina(メディナ)。次々と展開するSouk(スーク)は市場のこと。
エキゾティックなジャスミンの匂い、アラブの音楽が流れる迷路のようなメディナをさまよう。

 

 



 
 
メディナのなかにあるグランド・モスク。別名オリーブのモスク。
チュニジア国内では2番目に大きい。
戒律のあまり厳しくないソフトモスリムといわれるチュニスでも、やはりココは私も髪を隠して・・・。
荘厳な雰囲気に圧倒される!

 

 



 
 
 
ようやく初めてのイスラム世界の一日目も終わり。
パリでも大好きなクスクスのディナー。
モロッコ風とはだいぶ違うクスクス。Tajine(タジン)もチュニジア風はパイ皮で包んだオムレツのよう。
迫力のクスクスは文句なしの美味しさ!
バターの代わりに唐辛子のペースト、ハリッサをMelaui(メラウイ)というチュニジア風パンにつけていただく。
ワインはなぜかGris(グリ=グレー)と呼ばれる軽いロゼで乾杯!

 

 



 
 
 
ホテルのお部屋からはチュニスの街が一望できて白い建物が並ぶ街並みに朝焼けが美しい!

 

 



 


 
 
チュニスからレンタカーで100キロ、世界遺産でもあるDougga(ドゥッガ)の遺跡へ。
アフリカを代表するローマ遺跡。劇場や風の広場、フォーラムやローマ人の住居跡、リキニアの浴場など、
紀元前2-4世紀に繁栄を極めたローマ人の生活に思いを馳せる。
圧倒的な規模に感動する!

 

 



 
 
ようやくチュニジアのたべものもわかってきた?
街中のレストランでティピカルなチュニジア料理を頂く。
Chorba Frik(ショルバフリック)は最もポピュラーなお魚のスープ。
ハリッサでスパイシーに仕上がっているけれど、大麦が入っていて味わい深い。
レモンを絞って頂く。
Salade Mecheia(サラダ・メシュイーヤ)はトマト、タマネギ、ピーマンを焼いてレモン、ニンニク、コリアンダーを加えてたっぷりのオリーブオイルでマリネして、ケッパーとツナを添えて頂く、地中海の香りいっぱいの一品。
クミンやローズマリーの焼きこんであるパンにつけて頂くと絶品!
Kifta(キフタ)はひき肉にたっぷりのハーブを加えて焼いたものをトマトスープで。

今晩のメインはお魚のクスクス。ハリッサで赤く仕上がったお魚は何だか絵画みたい。
ワインは今晩もグリというロゼ。
クスクスはお腹で膨らむことを忘れてたっけ・・・・!

 

 



 
 
チュニジアも3日目、世界遺産でもあるローマ時代の遺跡
Carthago(カルタゴ)へ。目の前に広がる壮大な地中海を背景に建てられたアントニウスの共同浴場は2世紀にローマの5賢帝のひとりアントニウス・ピウスによって作られたとか。
その規模と施設の豊かさに圧倒される。
海からの風と生い茂る椰子の木、壮大な遺跡群にしばしボーゼン。

 

 



 
 
 
チュニスを後に車で古都ケロアンを目指す。
途中、世界最大級のザグーアンの水道橋(L'Aqueduc de Zaghouan)が見える。
今残っているだけでも20km.
そして今も尚使われているというから驚く!

 

 



 
 
古都ケロアンに行く途中、やはりローマ時代の遺跡、
Thuburbo Majus(チュブルボ・マジュス)に寄る。
この辺りの遺跡の多くは紀元前2-4世紀のローマ時代に建てられたものだそう。

 

 



 


 
 
アフリカにおけるイスラム発祥の地、古都ケロアンに到着。
Medina(旧市街)を囲む城壁がアラブ全盛期の面影をかすかに残す小さな街。
この旧市街の一角に残る城壁のようなホテルLa Kasbah(カスバ)へ。
ライトアップされて迫力の城壁にアラビア文字が浮かび上がって何とも幻想的!
あまりにも雰囲気ありあすぎ!のカフェでミントティーを頂いて、ようやくほっとする。

 

 



 
 
朝食のビュッフェから鮮やかなスパイスや香辛料がいっぱい!
お茶もミントティーのほかにもバラのお茶や、シナモンを入れたお茶など
香り立つ芳香にチュニジアの豊かさを思う!

 

 



 
 
マグレブ諸国で最初に出来たイスラム都市ケロアンは、街自体が世界遺産になっている。
城壁に囲まれたメディナには色とりどりのカーペットが。白壁とのコントラストが美しい!
ここケロアンはカーペットの産地としても有名。

 

 



 
 
このメディナにはメッカとつながっているという伝説の井戸があるという。
Bir Barouta(ビル・バルータ)というこの井戸、アンダルシア人が伝えたというポンプの技術で、らくだが井戸の周りを一周すると水がくみ上げられる仕組み。この井戸の水を飲むとご利益があるらしい・・・。
初めて見るらくだの大きさにヤラレ気味の私・・・。

 

 



 
 
イスラム世界ではメッカ、メディナ、エルサレムに次いで4番目に重要な聖都であるこの街には、北アフリカ最古のモスク、グランドモスクがある。
メディナの鮮やかな色の喧騒を抜けて、らくだの井戸を通り、Rue de la Mosquee des Trois Portes(3つの扉のモスク通り)
を曲がると、チュニジアらしい白壁とブルーの扉の静かな路がモスクまで続く。

 

 



 
 
イスラム教徒ではない私は入ることは出来ない、3つの扉のモスク。
扉は男性、女性、子供、とそれぞれが分かれている。
この辺りにくるともうモスクが近い、という荘厳な雰囲気・・・。

いよいよグランド・モスクへ。640年、時の権力者ウクバ・イブン・ナーフィによって建てられたことから、シディ・ウクバ・モスクとも呼ばれる。

 

 


 
 
マグレブで最も美しいといわれるZaouia Sidi Sahab(シディ・サハブ)霊廟へ。
壁、床、天井と一面の色鮮やかなアラベスク模様の美しさ!
これほど色彩に富んだ霊廟はチュニジアでもココだけ。

 

 



 
 
ケロアンから車で1時間半、El JeM(エル・ジェム)へ。
ローマ帝国の中で最も豊かな都市であったが市民がオリーブオイル交易に課される重税に反発し衰退し始め、7世紀に中東から攻めてきたイスラム・アラブ軍と、先住民ベルベル人との最後の決戦の地はこのエル・ジェムだったそう。1500年ものエル・ジェムの歴史を見守ってきたこのコロセウムは世界遺産に登録されている。ローマのコロセウムと同じかそれ以上の保存状態にも驚くけれど、今でも夏にはフェスティバルに使われているというのも驚き!

 

 



 
 
古都ケロアンを後にいよいよ砂漠の街、マトマタに向けて南下する。
ココからは4WDの車をチャーター。今日はイスラム教の重要な祝日「犠牲祭」とのこと。
街は静まり返っている。
乾いた土地にサボテンが生い茂るなか4WDは行く!

 

 



 
 
 
マトマタに南下する途中の街、Sousse(スース)に寄る。
「サヘルの真珠」といわれるビーチリゾートでもあるけれど、今日は「犠牲祭」。
静まり返ったモスク。

 

 


 
 
チュニジアの南部、ベルベル人の住んでいたというMatmata(マトマタ)へ。
景色はどんどん砂漠になって行く!本当に映画みたい・・・。
スピルバーグの「スター・ウォーズ」が撮影されたこのマトマタは、ベルベル人の横穴式住居が残っているところでその住居が今晩のホテル。またまた雰囲気アリスギ!
この横穴式で私はこのHPを書いています!

 

 


 
 
北アフリカの先住民族、ベルベル人が今も多く住むこのマトマタ周辺。
敵から身を隠すために生まれた穴居住宅はマトマタにでのみ見られる特別な構造。
自然洞窟のようにも見える。
ガイドのM氏が何とか個人住居に連れて行ってくれる。
大都会の首都チュニスと同じ国に今もこうして先祖の残した土地を守っている人々がいることに驚く・・・。

 

 


 
 

 
 
 
マトマタからさらに南下、ついにサハラ砂漠、Ksar Ghilane(クサール・ギレン)へ。
らくだに乗ってサハラ砂漠を歩く。どこまで行っても砂丘が続き、永遠に歩いていかれそうな気がする。
悠久のロマンとはこのこと・・・。らくだ引きが歌うアラブの歌も遠くこだまするように聞こえる。
今日はイスラム教の儀式、犠牲祭なので、見渡す限りらくだすら居ない。
私達だけのサハラ・・・。

 

 


 
 
砂漠の中のベルベル風のテントが今晩のホテル。砂漠のオアシスにようやく辿りついたみたい。
テントの中はちゃんと4つ星で快適。夜はテントを出ると降る様なお星様!
砂と椰子の木の独特な匂い。らくだももう眠っているかしら?

 

 



 
 
クサール・ギレンはサハラ砂漠の東、Grand Erg Orientalと呼ばれる東部大砂丘。
さらに南下してTataouine(タタウィン)へ。小さな小さなこの街も砂漠の民にとっては重要な商業の街。
私も小さな手織りのショールを買った。
この周りには今も先祖からの土地と風習を静かに守ってひっそりと暮らすベルベル人が居る。
Ksar Haddada(クサール・ハッダダ)は映画、スターウォーズの撮影にも使われたという。
クサールというのは穀物の貯蔵庫のゴルファの集合体をいうらしく、てっぺんに木の枝が出ているのはここにロープを通して上の階に穀物を運んだためのもの。

 

 



 
 
一見普通の岸壁のように見えるChenini(シェニニ)。
今でも200人くらいが静かに暮らしている。
見渡す限りの岸壁に良く見ると人々が暮らしている。
こんな険しい自然の中でイスラムの教えを守り、織物などをして暮らしている・・・。

 

 


 
 
タタウィンから南東へ。美しいクサールの残る、Ksar Ouled Soltane(クサール・ウレド・スルタン)へ。
まさに集合住宅のオリジンを見るよう!エントランスがあってアプローチ、中庭へと続く。
北アフリカの中で最も良い状態で残っているクサール。

 

 



 
 
砂漠を十分満喫した私達。チュニスに帰るのにまた砂漠を4WDに揺られるのは辛い!
チュニジア最大のリゾート、ジェルバ島まで行ってチュニス・エアーの国内線でチュニスまで飛ぶことに。
ローマ人が作ったという長い橋を渡って、シーズンオフのジェルバ島をオマケで楽しむ。
ココはチュニジアで最も古くから陶器を作っていたところ。
素晴らしい陶器が沢山!

 

 



 
 
砂漠の旅を終えてようやく大都会!チュニスへ戻ってホッとする。
旅の終わりにはなるべく最初のホテルに泊まる私達。
これもホーム、っていうこと。
レストランの人も戻ってきたんだね!とチュニジア最後の晩餐(?)を盛り上げてくれる。
もうおなじみのチュニジア風サラダ、お魚のクスクス、ワインはMAGONの赤。

 

 
 
 
 
 
 
Agenda top ようやく「ホーム」、チュニスのシェラトンに戻って、ゆっくり休む。
午前中は再び旧市街、メディナで、ミントティーのセットと、皮のルームシューズ、オリーブの石鹸やオレンジのお花、ネロリのオイルを買う。
砂漠ではこんな私でも、結構生きるのに必死だったのかしら?
お買いモノが楽しい!!

車で隣町、バルドーへ、「チュニジアのルーブル」?といわれ、世界一のモザイクコレクションを誇るバルドー美術館へ。
オスマン帝国支配下のチュニジア統治者の宮殿だった素晴らしい建物。
紀元前メソポタミアを発祥地とするモザイク、地中海に渡り、ギリシャ、ローマ文明に組み込まれていく。
古代国家カルタゴ、ドゥッガ、エル・ジェム、スース、と今回訪れた遺跡の中のモザイクは全てココに収蔵されているそうで旅の終わりにはふさわしい美術館!
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